テッド・チャン:息吹

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昨日、今日と2日かけてテッド・チャンの『息吹』を読み終える。いずれも劣らぬ切れ味の連続で、さすがはテッド・チャン…という一冊でした。
今のうちに感想を文字として残しておきたい、と思ったのでまとめて書いていきます

ウェットな語りの中からそれとなくハード目なSFネタを突き刺してくる、というのがチャンの魅力の一つだと思うのだけれど、ある意味でその極地と思う一品。翻訳者の方の言葉選びも多大にあると思うのだけれど、とても柔らかい言葉遣い、語り口調、結末、とこの短編集の中でも群を抜いて読みやすい作品だった。

  • 息吹

短編集の表題作品。打って変わって最もソリッドな作品。少しずつ世界の違いが明かされていって、”真実”にたどり着いてからの怒涛の勢いに押し流される。
チャンの作品って、全てが終わってしまった後で淡々と振り返っていく、という形式が多い…気がする。この一冊の中では次の「予期される未来」「全自動ナニー」がそうで、ある意味「偽りのない事実」もそのモチーフか。こことは異なる歴史が本当にあって、その世界における論文とかレポートを読んでいる感覚。

  • 予期される未来

この短編集の中で一番短い作品。つまりは最も濃度が高い作品ということで速度がすさまじい。そんな簡単なギミックで…というところから始まって確かにありそうな行く末に着地しているのが技量の高さを感じさせる。
もう一つのチャンの作品の底に流れる通奏低音として、決定論が支配する世界における自由意志、というテーマがあると思うのだけれど、これはそれをストレートに叩きつけてくるパンチ力のある一作だった。テッド・チャンとは?というのを端的に知れる作品と思う

  • ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル

すごいタイトルだ、と思ったら作品の内容はもっとすごかった。この短編集の中で一番の長さ…ではあるけれど濃度が薄まるわけではないのですさまじい。
一連の作品の中で最も強い打撃を受けたのがこれだった。なんというか、こう、一度は最先端を歩きつつ周囲のプラットフォームの進化によって取り残されて、それでもそのコンテンツへ注ぎ込んできた愛ゆえに何とかそれを生かしきろうとする…というのがとても他人事とは思えなくて、というこれを読んでいる範囲にはあまり理解されなさそうな理由だったりして。それを生き延びさせられるなら、そのコンテンツに性的な修正を加えても良いのか…?というのがなんかまたありそうな感じで昨日の夜は寝る前までもんもんと考えてしまった

  • デイシー式全自動ナニー

この短編集の中ではいまいち刺さらなかった…のは自分に子供が居る/いたことがないからなのかなあ。終わり方は好き

  • 偽りのない事実、偽りのない気持ち

改めてこうやって並べてみると、育児三連作とでも言うべき並びになっていたのだなあ、という改めての気づき。やはり自由意志の話でもある
現代の我々に近い(ちょっと先を進んでいる)文化に新しい記憶・記録の考え方が継ぎ足されるパートと、口承文化の部族にテキストによる記録・記憶という考え方が注ぎ込まれるパートが交互に語られる、という形式。2つが同時に語られることで、それ(新しいパラダイム)がそれまでの文化に注入されるのが良いとも悪いとも言い辛い、とてもうまい構成になっていたと思う

  • 大いなる沈黙

短編…というか詩?と思ったら出自がちょっと違う作品だったのね、と後書きで知る。オウムとオーム(Om)がかけられているのは日本語訳の上での偶然…?だとしたら面白い
個人的には「アレシボメッセージ」の話が出てきたのが不意を打たれた感じだった

  • オムファロス

神が実在する世界における科学の話。ある意味では、これも「全てが終わってしまった」物語かも知れない。また、これも少しずつ語りの中で我々の世界との違いが見えてくる、という形式でもある。強い信仰心を持っているわけではないので普通に面白く読んでしまったのだけど、そうでない人はどう受け取るのだろうか、というのは興味深い

  • 不安は自由のめまい

自由意志の物語、多世界版。
別の分岐した世界とやり取りができる、という話の中で淡々と差異がどう起きるかを研究した学者の話が出たり、別の分岐とのやり取りに囚われてしまった人たちのカウンセリングの話が出てくるのがテッド・チャン流という感じで愉快
何が起きたかが変わるわけではないけど、そのとらえ方でどうにでもなる、というのはやはり一貫しているのだと思う。これの読後感のおかげで、短編集全体の印象もよかった、となっているところはあるかも知れない


というわけで、とても面白い一冊でした。今日読めて本当に良かった